2008/101234567891011121314151617181920212223242526272829302008/12

A病院に到着したものの、もう外は暗い。
病院入口もここでいいのか、それさえわからない。
入口にいたおじさんに、住所や病院の名前が書かれた紙を見せたところ
あっているらしいが、このあとどこにいけば言われた部屋に着くのか。。

救急口らしきところから入るとすぐに、さっき入れ違いにでてきた青年が
コーヒー片手に声をかけてきてくれた。
彼は英語を話すらしく、私たちを部屋の前まで案内してくれた。

ありがたい。

病室前には、子供やおじいさんやいろいろな人がいる。
もちろんここでも、ドアが開くのを待つ。
誰かが中から出てくるタイミングしかチャンスはない。

数十分して扉があき、とりあえず持っていた紙すべてを渡す。
その後、血液検査やらなんやらをうけることになった。

医者は英語を少し話すが、あまり人の話をきかないみたいで、
日曜から何も食べてない、って言ってるのに、昨日は何食べた?
今日は?って聞いてくる。  おぃおぃだよー。

外で血液検査の結果を待つように指示がでる。
だいたい40分から1時間とのこと。


・・・1時間経過。・・・2時間経過。
いっこうに呼ばれる気配なし。
途中状況確認するも、まだ結果がでてないとのこと。

時間と共に、入ってくる救急患者も、よっぱらいや、警官に囲まれた人など
ちょっと変わってきた。


さすがに3時間を過ぎたころから私も疲労がどっとでて、
座っていることさえできなくなった。
簡易ベッドで休ませてもらうものの、靴のままは当然。
布団はなく、メチャ寒い。
ここで寝たら、もう眼があけられなくなりそう。^^;

それから数十分後、消化器科の専門医が登場。
血液検査の結果をいつのまにか彼は知っていて、今の状態は悪くない、と告げられる。
が!!
明日、カメラをやりにまた来るようにとの指示。

また今夜も食事なし、点滴なし。
明日で4日目だよ。。


でも医者に従うしかない。

ため息をつきながら外を出た時には、もうすぐ22:00になるころだった。

家でひとりで留守番していた娘も心配だが、また明日のお願いを、
あちらこちらに しなくてはいけなくなった。
さすがに主人は3日も休めないのだ。

私の付き添い。
ハンナの守り。
タクシーの手配。

車の中でも息が抜けない。


******************************************

翌日。

今朝は歩くのさえままならなかった。
ひざにきている。
ちょっと音もあまり聞こえない。
息をしても、息が体にはいらないのだ。

食事には、興味がなくなっていた。
もう食べなくてもいいや、って感じ。  おそろしや。

8:20。朝早くから友人たちがかけつけ、助けてくれる。
そして私は再びA病院へ。


今日は、通訳の男性他付き添いが全部で3人もいてくれる。
そのおかげで、ゆうべは気付かなかったが、やたら大きいA病院で
迷うことなくカメラの部屋前につくことができた。

ゆうべの医者は消化器専門医のトップだそうだ。
が、
今日はいないとのこと。。

女医さんが対応。 英語は通じない。 スロヴァキア語とドイツ語のみ。
今回は通訳の男性がいるし、つきそってくれた女性は英語もドイツ語もペラペラなので
言葉の壁にぶつからずにすんだ。

カメラは結局、ちょっとみただけ。
ほんの5秒。
それ以上やるには、金曜日にまたきて予約をとり、来週やることになるそうです。

もういいよ。

ほんと、もういい。

昼過ぎには家に帰り、友人たちが私のためにおかゆをつくってくれたり
家族のためにスープを作ってくれたり、買い物してくれたりした。

そう、やっと食事。やっとよ。。


*****

今日は金曜日。
すごい勢いで回復中。
実際、腸の上部がどうなったのか気になることは気になるが
出血も月曜でとまってるし、なんてことなさそう。

早くお菓子食べたい。


・・・ねっ、大変でしょう。
何もかもが戦いです。  ふぅ~。
波乱万丈の私の人生。 あとどのくらいここにいるのやら。。

娘も6歳で海外にでて今は10歳。日本語があやしいです。
「お湯を張ってはいろう。」
「洗濯物をとりこんで」
こんな言葉は通じません。
もう、日本の通常の学校には戻れないでしょうね。
でも、日本でインターに・・なんてまた腹が痛むような金額。

あー、やっぱまだここかしら。。
はぁ~。
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